天草へは長崎から入るルートもおすすめです。
長崎と天草は古くから海の道でつながっていました。
明治時代、天草を旅した「五足の靴」の一行たちも
長崎から海をわたって天草へやってきました。
長崎の茂木港と天草の富岡港を結ぶ航路は、
100年前と変わらず、今も天草と長崎を結ぶ道です。
その富岡港からすぐ、富岡城跡へ行ってきました。
石垣を登って天守閣跡へー
富岡港から長崎へ向かう船、長崎からやってくる船が見えます。
天草にとって海は道なのだなあと実感する景色です。
海の中央、堤防のように見える海にせり出している部分は
「砂嘴(さし)」と呼ばれる独特の地形です。
「砂嘴」とは、沿岸流によって運ばれてきた土砂が湾を閉じるように
細長く堆積した地形のことをいいます。
この砂嘴は今も発達中で、どんどん伸びており、
日本有数規模の転石海岸といわれています。
今も伸びているなんて!自然ってすごいです!!!
天守閣跡には「富岡ビジターセンター」があり、
富岡城の歴史や天草の地形に関する展示があります。
天草と長崎とを結ぶ富岡港を見下ろす富岡城跡は、天草人にとって海は道であると実感していただける場所。
天草ドライブの途中におすすめです!
***** おまけの写真! *****
天守閣の銅像「天草の恩人」の前で記念撮影!
天草の恩人といえば、鈴木重成、正三兄弟。
鈴木重成氏とは天草島原の乱のあとに天草をおさめた初代代官で
江戸幕府に天草地域の石高半減を再三にわたってもとめたが聞き届けられず、
江戸城の門前で切腹し、自らの命とひきかえに石高減を認めさせた方です。
そして、兄の正三氏は僧侶で、天草島原の乱後、島民の心の安定のために仏教をすすめ、
天草の復興に尽力した人物です。
天草にはその遺徳をしのび、鈴木神社が建てられています。
↑天草の恩人の銅像の前で「天草の変人!?オーナー山﨑」です
天草にゆかりのある日本の恩人といえば勝海舟と頼山陽
↑日本の恩人の銅像の前で気分は勝海舟「日本の凡人・オーナー山﨑」です
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